『TOKYO・東京』

大都会、東京。

そこから連日連夜流れてくる最先端の情報に、18歳だった私は胸焦が
れ、高校の卒業旅行という名目で友人と二人旅をした。
泊まりは、当時東京で単身赴任をしていた父の部屋。
目指すは、憧れの不夜城TOKYO。
当時、日本最先端の人気エリアと紹介されていた原宿で買い物をして、
当時、日本一の高さを誇っていた「サンシャイン60」で食事をした。
当時、憧れの存在だったディスコ「椿ハウス」で、TOKYO的なお兄
さんお姉さん達に圧倒されながら踊り、最高の気分で部屋に帰ったら、
鬼の形相で待っていた父親にこっぴどく怒られたっけ…。

21歳の頃、東京でカメラマンをしていた友人の家を尋ねた。
彼女のボーイフレンドは当時、表参道にある同潤会アパートの4部屋を
業界仲間とシェアして暮らしていた。一部屋一部屋テーマがあり、それ
ぞれ全く違う色でコーディネイトされており、その日の気分によってト
レードしていると言っていた。なんとTOKYO的な暮らしなのだろう
と思った。
彼女と彼女のボーイフレンド、そしてその友人の何人かに連れられて、
六本木のディスコに行った。まわりは、外人さんやモデルさんばかり。
TOKYOに気後れした夜だった。

23歳の頃、高校時代から仲間だった男の子の友人と会った。
彼は某商社マンの彼氏?と同棲していた。
そう、高校時代からの友人はTOKYOでゲイになっていたのだ。
「面白いところ連れて行ってあげるよ。社会見学しなよ」と連れて行か
れたのは、新宿2丁目の裏通り。
髪の毛をベリーショートにした、タンクトップのお兄さんがカウンター
越しに私を見て、怪訝そうに「○ちゃん、女連れてきたら、ダメだよ」
と言った。私の友人はその店の常連らしかった。
「迷惑かけないように一番奥に座っておくから。昔からのダチなんだよ」
TOKYOで異次元?の世界を垣間見た夜だった。

以後も幾度も東京へ出てきていたが、仕事であったり何かの用事があっ
たりで、大人になるにつれTOKYOへの憧れは少しずつ薄まっていっ
た。

まわりも自分も意識が少しずつ変わっていきはじめた頃、友人たちの何
人かは、田舎暮らしをし始めた。
大自然と共に暮す。こんなに心地よいものはない。
私も田舎ではないが、関西の静かな街で、海も山も川も目の前にある生
活をずっと送っていた。
朝、子供たちを学校に送り出した後は、必ず散歩をして川の横にある公
園に行き、せせらぎを聞きながら、ゆっくりと太陽を楽しむ。
そして背後にある山の緑に触れて、いのちを感じる。
そんな毎日だった。

私が東京暮らしを決めた時、何人かの人に「どうして時代に逆行するよ
うに今、東京へ行くの?」と聞かれた。

確かに4年前、私にとって東京は一番住みたくない場所となっていたし、
もうTOKYOに憧れの気持ちは全くなかった。
だが、東京へ行かなければならないと思った。
やはり、今でもメディアの中心地であることには違いないのだ。何かを
発信しようと思ったら、なるべくそこに近いほうがいい。

私は今、東京の下町に住んでいる。
先月、文京区からNHKの朝ドラ「こころ」の舞台となっている浅草も
ある、東京の台東区に引っ越した。
古い町並みと、お寺に囲まれた場所。朝は鳥のさえずりで目が覚める。
かつての私が憧れていたTOKYOは、そこには何一つない。

しかし、江戸や明治の匂いが今なお濃く残っている、この東京という場
所が、どんどん好きになっている。