魂の同郷人たち』

先週、天河へ行ってきた。

天川 彩という名になってから幾度、ここを訪れただろう。
目に見えない不思議なご縁に導かれ、天河(てんかわ)を知らずして天川(て
んかわ)という名を名乗ることになった私だが、気付けばもう何十回この場を
訪れたかわからない。
天河は、太古の昔より聖地として知られ、空海をはじめ、様々な先人たちがこ
の場で内なる己と対話する為にやって来ている。
そんな場なので、通常一人で行くことが多いのだが、時よっては誰かを天河へ
案内しがてら行くこともある。
今回は、天河のことをこれまで全く知らなかったという新たなスタッフ二人を
案内するかたちで行くことにした。

「天河は、日本の中のチベット」だと以前宮司さんが言っていたことがある。
確かに、チベットのラマ僧たちも多くやって来るし、古来から多くの覚者達が
数え切れないほどやって来るという場であることには違いないが、そんなこと
よりも、きっととても行き難い場、陸の孤島的な感覚でそう言っていたのだと
思う。

東京駅から新幹線に乗り、京都で下車し近鉄に乗り換えて、橿原神宮で更に電
車を乗り換え、下市口駅で下車。
ここまでで、順調に行っておよそ5時間。そこから天川村までタクシーで約4
5分。
最近はバスが増便になって、1日3本走るようになったので、とても行きやす
くなった。とはいえ、確かに普通の感覚でいくと、少し遠いのかもしれない。

しかし、どんなに時間がかかろうとも、縁が繋がり呼ばれた人は向かうように
なっているようだ。

「天河は、呼ばれなければ行けない」とよく言われている。
人によっては、5年10年天河に行きたいと思い続けながらも行けない人もい
るらしい。
「天河に呼ばれる人は、それぞれ役割を持って呼ばれて来る。だから、そこで
の出会った関係は大切にしなければいけない」という人がいたが、確かに天河
に行くと、思いもしない出会いが多くあるように思う。

今回もそうだった。
宿で夕食を食べていた時、たまたまある青年が話し掛けてきた。その青年は、
お客というより宿のおばちゃんの親戚といった風だった。聞くと、大阪から出
てきて、今は修験道の宿がある洞川温泉(天河神社からおよそ10キロ近く離
れた場)の宿で働いているという。冬の寒さで水道管が破裂してしまい、おば
ちゃんのところで、時々もらい湯をしているそうだ。彼は帰り際「よかったら
明日コーヒーでも飲みに僕の家に来てくださいよ。仕事は休みだから家にいま
すから」と誘ってくれた。
何の予定も決めていなかった私達は、翌日、彼の言葉に甘えて、伺った。

丁寧に自分でリフォームした平屋の建物の真ん中に、家の主であるかのような
囲炉裏がある。整頓された部屋の中に、アンティーク家具やインテリア、趣味
で集めているという水晶などがさり気なく置かれ、間接照明と布で軟らかな空
間を演出した彼の部屋は、とても居心地いい。
民族楽器の音楽を流しながら、達磨ストーブに薪をくべるその姿もとてもお洒
落だ。
彼は、インド哲学などを学んだ後、様々なことに触れ、今は天川村のおばあち
ゃん達から生活の知恵を学んでいるという。
天河には日本はもとより世界中から、深い精神を持った人々が来るので、素敵
な出会いが多々あるそうだ。豊かな生活とは、彼の生活のようなものをいうの
だろうか。

私達が、彼の話に誘発されて、洞川へ行ってみようと彼の家を出ようと思った
時、彼の友人夫妻が尋ねてきた。
ご主人の職業は画家。彼もまた長年インドやヨーロッパを巡った経歴を持つ。
昨年末、天河のことなど全く知らずに、たまたま通りかかった天川村にその日
のうちに移り住むことになったという。
なんと、不思議なことにその日まで住んでいた人が、翌日からインドに行くの
で、家財道具は全て置いていくから、住んだらどうかと言われ、大屋さんの家
に連れて行ってくれたそうだ。
「ここで今日会ったのも、何かの縁だから、ぜひ今晩遊びに来てください」と
いう言葉に私達は、夜、彼らの家に伺うことになった。

彼らの家も、平屋の一軒家だった。
壁一面に、様々な絵が飾ってある。サイケデリックな龍や曼荼羅図など、まる
でコンピュータグラフィックスのような繊細な絵画なのだが、よく観ると全て
油絵で描かれている。大きさにもよるそうだが、一枚の絵を仕上げるのに、1
ヶ月以上はかかるという。どれも根気のいる作品ばかりなのだが、なかなか人
に知ってもらう機会がないそうだ。
一畳分もありそうな薬師如来様を観ていた時、「僕たち、薬師如来に導かれて
いるんです」とご主人が言った。
「天河のお薬師様に参りましたか?」と私が問うと、話には聞いたことはある
が、実際の場所はわからないという。
私は、この二人を薬師堂に案内しなければいけないと直感的に思った。
夜もかなり更けてはいたのだが、急遽、神社の裏手にある薬師堂へと向かった。

夫妻は、ほんとうに長い間、薬師如来に手をあわせて祈っている。
「僕たちも、きっと何か意味があって天河に呼ばれて来たんですね」

帰り際、スタッフの一人が「きっと、みんな魂が同郷に戻って、こうやって会
っているのかもしれませんね」と言った。

まさに、そうなのかもしれない。
数年前、アリゾナ洲にあるhopi族(平和の民と呼ばれている人々)の村に
行った時にも、私はそう感じた。

チベット、hopi、天河…みな同じ魂の同郷人たち、平和の民たちなのかも
しれない。