袖触れあうも』

仕事を抜け出して『曼荼羅』という中国映画を見に行った。
これは、12年前に制作された、若き日の弘法大師・空海を描いた作品
で、主に唐に渡っていた間の空海が描かれたものだ。空海をこよなく愛
する?私にとって、心洗われる時間だった。

ここのところ、悩む度にダライ・ラマ法王の法話が聞けたり、空海さん
の生き様に改めて触れられたりと、きちんと神仏に導かれているように感じる。
と、同時に「初心に返って進みなさい」といわれているようでもある。
かつて、私がこのペンネームを頂いた折、天河神社の宮司さんから「本
だけで知識を得ようと思わず、足で真実を知りなさい。そして、これか
ら出会う人、全てを自分の師と思いなさい」と言われたことを思い出した。

私は、聖人ではないので、少し苦手かも…と思う人にも時折会う。
相手によって態度を変える人、自分は偉いと思い込んでる人、身勝手な
人…。ここ数年、そんな人とは滅多に会わなくなったが、たまに出会っ
たりすると、やはり凹んでしまう。

宮司さんの言葉も忘れて「なんて奴だ!」なんて怒ってみたりもする。
しかし、昔から「反面教師」や「他人のふり見て我がふり直せ」などと
いうように、そんな人との出会いこそが、実は自らを律するよいきっかけになっている。

冷静によくよく考えると、自分が持っている嫌な部分がその人を通して
クローズアップされているに過ぎないかもしれないのだ。

袖触れ合うも他生の縁とは、ほんの些細な出会いでも、前世からの、また
来世に繋がる縁なのだから、大切にしなさい、という意味だと記憶している。

人間の短い一生の中で、出会える数など限りがあるのだ。
益してや、自分を律するきっかけを与えてくれる人と出会うことは、よほどのご縁に違いないそんな人と出会わせて頂き、ありがたい。そう思うと全ては笑って受け入れられるような気がする。

本を読むことは楽しい。音楽を聴く時間も、映画を見ている時も、とても豊かだ。
情報はインターネットで検索すれば、ほとんど手に入るようになったし、
テレビや新聞でも毎日新しい情報が入ってくる。しかし、
私が一番エキサイティングだと思うのは、やはり生身の人間と出会い、語らい、接している時間だ。

人間ってやっぱり、一番面白い。

後、何年生きるのか、自分では全くわからない。しかし、その間いろんな人と
他生の縁で出会い、笑ったり泣いたり、怒ったりしながら、豊かな時間を過ごしていくのだと思うと、
やはりワクワクする。

これからも出会う人を師と思い、出会うこと全てを学びとして受け取っていこう。

そう思ったら、なんだか初心に返ったようで清清しい気持ちになった。