■『幸せの因をつくろう』 | |
ここしばらく「人は苦しみというものからどうしたら脱却できるのか」
ということについて深く悩んでいた。人というのは自分であり、
また他者であり。その出口が、なかなか見つからなかった時、
ダライ・ラマ法王の来日を知った。
目に見えないところから、ちゃんと指標を示されたかのように。
歓迎レセプションパーティの日、法王の声を聞いて、暖かい何かに包ま
れたような安らかさを感じていた。「どなたか、ここで法王様に質問をされたい方、
いらっしゃいますか?直接お話ができる機会ですよ」と司会の木内みどりさんが
言った時、よっぽど手を挙げてみようかと迷った。が、変なところで消極的なのだ。
結局手を挙げることができず、内心後悔していた。
法王が会場を退場される時、私は思い切って出口に近い場所に急いで歩み寄り、
手を握っていただいた。柔らかく、少しひんやりとした手だった。
翌日、「慈悲の力」という日本で初めての無料の法話会を開かれたのだが、
あいにくその日は子どもの文化祭と重なっていたので、諦めざるを得ない。
東京での法話会最終日、会場である国技館に行くと、チケットの番号は
舞台近くの桟敷席最前列だった。ありがたいことだ。
午前中の法話の中で、ダライ・ラマ法王は「苦しみをどのように克服するか」
という話をずっと語ってくださった。
私の解釈が間違っていなければ、要約すると次のようなことだった。
物事には全て因と条件とがある。因は自ら作り出すものである。もしも
苦しみがあるのならば、その因を取り除かない限り、苦しみは去らない。
「苦しみが無くなります様に」と願ったり、祈ったりしているばかりでは、
一向に変わらない。苦しみの因を無くす為に行動することである。
幸せもまた同じ。幸せになりたいと待っていても訪れない。幸せの因を作ればいいのだ。
まさに、目から鱗だった。
ダライ・ラマ法王の「祈っているばかりでは何も変わらない」という一言は、
今の私にとって、とても大きかった。
そうだ、幸せの因をつくればいいのだ。自分も他者も共に幸せになる因を。
すると同時に苦しみの因は消滅していくのだ。
積極的に動こう!改めてそう思った。
こう書くと「何を冗談を。いつも積極的に動いているよ」と思う方もあるかもしれない。
しかし、私はどちらかというと受動的な人間なのだ。
よっぽど何か必要性を感じない限り、自ら追い求めには行かない。しかし、
一度関わったらとことんやり遂げないと気が済まない。そして誠心誠意が
時に採算度外視となってしまい…限りある自分の時間を使い過ぎても、
まだ動き…。ま、要は馬鹿なのだ。
今まで、有難いことに、様々な人と関わり幾多のことが起こってきたので、
それに準じて日々忙しく動きまわっている。が…なかなか利益とは結びつかない。
ま、これは簡単にいうと、貧乏暇なし。
その圧迫が時に苦しみを生み、取り除く術がなかなか見つからなかった。
しかし、ここにきてまだ人智を尽くしていなかったことに気がついた。
やはり、これからは幸せの因を作ろうと思う。積極的に、私自身もオフィスTENも
アピールしていこう。今まで積み重ねてきた経験をきちんと、経済と変えていく為に。
よし、幸せの因をつくっていくぞ!
そして天命を待とう。