ジャパンルーツ・マイルーツ』

2年前から、縄文の時代に思いを馳せたプロジェクトがゆっくりゆっくり動き
始めている。

縄文の頃、アリューシャン列島などを通りながら移動していたであろうそのル
ートを使って、共通の神話や文化を持つアラスカまで、縄文の古代舟を甦らせ
て行ってみようという壮大な計画『ジャパンルーツプロジェクト(仮)』がそ
れだ。

青森の三内丸山縄文遺跡などを見ても、他の縄文遺跡から出土されたものを見
ても、本当に5000年以上前に、日本には驚くほど高度な技術や文化があっ
たのだということを知ると、改めて凄いと思う。私たち日本人は、もっとその
子孫であるいことを誇りに思っていいのではないだろうか。
そして、何より次世代にそれを引き継がなければいけないのではないか、と真
剣に思う。

この計画を実現するためには、莫大な資金と綿密な計画、高度な技術や先住民
族に伝わる叡智の他に、最新のテクノロジーも必要とする。そして何より、目
に見えない部分で繋がっていることを大切にするスピリットのもと動かなけれ
ばならないのだと思う。
4年前、アラスカのクリンギット族、ボブ・サムとの出会いから、その思いが
静かに沸き起こりはじめていたのだが、かつて、そのボブ・サムと熊野古道を
何日も共に歩いた天河神社の宮司さんにその話をしたら、正式に神社でご祈祷
を受けることになったのだ。

昨年、その計画が少し動き始めたころ、メインスポンサーとして某航空会社が
協力してくれることになり、一気に実現化に向けて進みだした。が、昨年の同
時多発テロのことで航空業界が大幅に落ち込み、スポンサーの話は白紙に。


このプロジェクトを遂行するのに、どれくらいの時間や費用がかかるのか、今
の私には検討もつかない。でも、またそのエネルギーそのものが動き始める時
、人が集まり、お金が集まり、叡智が集まり、きっと実現的に着実に進んでい
くのだと思う。

実は、昨年そのプロジェクトがらみで、某航空会社の方に様々な縄文関連の場
所に連れて行ってもらった。
中でも、縄文最大の都市であった青森の三内丸山縄文遺跡と、特異な文化の後
が残っている北海道の常呂縄文遺跡に特に強く惹かれた。

三内丸山は、青森の観光名所にもなっているのでご存知の方も多いと思うが、
常呂遺跡は、ほとんどの人が知らない遺跡ではないかと思う。

常呂遺跡に行って驚いたのだが、そこには本州以南の人々ともアイヌの人々と
も全く違う民族が生活していた跡が残っている。樺太方面から渡来し、そして
忽然と消えてしまったオホ−ツク人と呼ばれる人々の謎めく痕跡…。

その常呂遺跡関連の展示会が東京大学であることを一昨日、東京の地下鉄の駅
の片隅に貼ってあったポスターを見て偶然知った。
そして、ふと思い出したのが、常呂町に尋ねた際ご挨拶した某ホテルの支配人

常呂遺跡を見た後、あまりに興奮して色々その支配人に質問をしたのだ。

「天川さん、そんなに興味があるのなら、いつも常呂遺跡の調査にやって来る
東大の先生、今度ご紹介しますよ」という言葉を思い出して、私は電話をかけ
てみた。

すると1年前に交された軽い口約束を、支配人はよく覚えていてくださって、
早速、今週末に東大のその教授とお会い出来る段取りを取ってくれたのだ。

現在、東京大学総合研究博物館で「北の異界 古代オホーツクと流民文化」と
いう展示が7月14日まで行われている。興味がある方は、是非、東大へ行っ
てみてほしい。

また、北海道へ行ったなら、通常の観光ルートには入っていないだろうが、是
非、常呂遺跡を見てもらいたい。そこには、私たちが学んだ歴史には、全く登
場しない、謎の民族の跡があるのだから。

余談になるが…昨年、常呂町に行った話を母にしたら「お爺さんの名前が入っ
た碑が常呂にあるのよ」と言うではないか。私の母方の祖父は四国徳島生まれ
の人なのだが、若い頃、フロンティアスピリットに燃えて北海道に渡り、行き
着いた場所が常呂町だったらしい。もしかすると、祖父の中にオホーツク人の
血があり、そのDNAに導かれるように常呂に住んだのでは?とも思ったり…

と、いうことは、私の血の中にも謎のオホーツク人の血が流れているのかな?
??

う〜ん…謎解きは、まだまだ続きそうだ。なーんてね(笑)