人間の宿業(後編)』

2000年12月21日。
韓国・釜山空港は、気持ちよく晴れ上がっていた。
私とサッチャンは、空港から直接慶州行きのバスに乗り込んだ。

「20世紀が終わる前に日本人としてあなたの祖国へ謝りに行きたい」
こう言って、サッチャンを2000年の終わり二度目となる韓国行きの
旅に誘った時、彼女はきっと戸惑ったと思う。
でも、多分彼女もどこかで、何か突き動かされるような思いがあったの
かもしれない。

今回の目的地は慶州市の南に位置する南山(ナムサン)。
前年、二人でこの地を訪れた時、まるで私達を招くように夕日に照らさ
れ輝いていた山だ。
その時はマサンというキーワードを探しす旅だったのが、結局マサンと
は南山にある古墳のことで、私達を南山に向わせる為のキーワードだっ
たように思う。

実はもうひとつ…南山に向かった理由があった。

韓国行きを決めた後、私はある夢を見た。

……それは、どこかの古い寺。横には小川が流れ、小さな滝もある。寺
の裏には井戸があり、のどかなのどかな風景の中で、数人の僧侶が暮ら
している……

目が覚めた後もはっきりとその風景は脳裏に残っていた。

更に夢を見た直後、ある人から驚くべき話を聞いた。
南山には、かつて第二次世界大戦中日本軍が、そこに祀ってあった韓国
の神「ダンクン」を外し、天照大神を祀ったまま、戦後もそのまま放置
してきた場所があったという。戦後50年以上過ぎて、その事実を知っ
た韓国と日本の神職に就く人々が、それは両国にとって良くないと、そ
れぞれの神様を元に戻したそうだ。
その場所の状況を聞くと、それはまさに、私が夢の中で見た古寺跡と、
瓜二つだった。

私は確信した。きっとそこは南山だ。

慶州のホテルでチェックインを済ませ、フロントで南山の情報を聞いた
のだが詳しくはわからなかったので、私たちは国立慶州博物館へ向かっ
てみることにした。
フロントで、日本語が話せるタクシーを呼んでくれた。

しかし、タクシーに乗り込むと「今から博物館に向かっても今日は閉ま
る時間だし、第一博物館にはたいした物は無い」と運転手が言う。
断って降りようとしたのだが「もっと、いい観光の場所があるから、案
内する」と言った途端、半ば強引に走り出してしまった。

私たちは、頼んでもいない幾つかの店に無理やり連れて行かれるハメに
なってしまった。
どうやら、ホテルとタクシーと店は、提携関係にあるらしいかった。
しかし、どんなに強引な運転手でも、私たちの表情から気乗りがしてい
ないことを悟ったのだろう。
「これから行く店が最後。終わったらホテルに戻ります」と言って、あ
る窯元へ案内された。
ため息混じりに、これが最後ね…と思いながら中に入ると、今まで入っ
た店とは、雰囲気が全く違っていた。
うまく表現できないが、空気が凛としているのだ。
この窯元では、主に新羅の時代の陶器を再現したものが並べられていた。

やや薄暗い店の奥に、上品な初老の女性がいるが、今まで入った他店の
ような、強引さは全くない。
警戒心が解けた?私は、店に置かれている物について、片言の英語で尋
ねてみると、意外にも流暢な日本語で、新羅の時代の話を沢山教えてく
れた。

「日本語とてもお上手ですね。日本に来られたことあるのですか?」
「いいえ、一度もないんですよ」
このやり取りをしていて、私はハッとした。
なんとバカな質問をしてしまったのだろう…。
この女性が日本語を流暢に話せる理由は、日本がかつて植民地として支
配していた時代、言葉を強制的に覚えさせられたからではないか。

…。

私は、言葉に詰まってしまった。
迷った末、この女性に誠心誠意謝ることにした。

「ごめんなさい。本当に、日本があなたの国にしてきたこと、ごめんな
さい」。
その女性は、あまりに唐突な私の言葉にただ驚いている様子だった。
だが私が言っている意味をようやく理解したのか、ややしばらくして
「全ては時代。そういう時代だったの。あなたのせいじゃないから、謝
らなくていいわよ」と言う。
しかし、私はきちんと謝りたかった。
「そんな時代が過ぎた今も、日本は謝っていません。私は名もない日本
のいち市民です。でも、私は自分の祖国がしたことを、今世紀中に謝り
たいと思って韓国へ来ました。ごめんなさい」。
すると、その女性は「本当に、あなたが謝るようなことではないと思う
のよ。
私は日本に恨みなんか無いし。でもそんな日本人がいるって知っただけ
で、嬉しいわ」と言ってくれた。

本当に韓国に来て良かった、と単純な私は嬉しくなった。
しかし今にして思えば、この時、ただ自己満足に浸っていただけなのか
もしれない。

嬉しさのあまり、何かここでの記念の品が欲しくなり、新羅時代のレプ
リカの置物を購入。そして帰り際に、南山にあるであろう、私が夢で見
た古寺跡を知らないか聞いてみた。

すると、その女性は「南山に詳しくて日本語を話せる友人を、ガイドと
して頼んであげる」と言って、直ぐに誰かに電話をかけはじめた。
驚いたことに、その人は元国立慶州博物館の学芸員をしていた池さんと
いう人で、今は南山遺跡をガイドをしている人だという。

なんという、導きなのだろう…。

翌朝、約束どおり元国立慶州博物館の学芸員の池さんがホテルに迎えに
来てくれた。
私は夢で見た寺院の場所は南山の中にあるのか、聞いてみた。

「ありますよ。きっとそこのことだと思うので、最後に案内しましょう」


南山は、新羅時代の仏教遺跡が山全体に広がり、露天博物館といわれる
場所だ。
百近くの寺跡と八十体を越える石仏、そして六十あまりの石塔がこの山
には残っている。私達は石仏に手を合わせ、祈りながら山を歩いた。

夕方近くになり、ある場所で池さんの足が止まった。

「あなたが言っていた場所は、あそこではないかと思うのですが…」
寺の脇に流れる小川は、コンクリートで水路が囲まれていたが、確かに
あり、小さな滝も、コンクリートで補強されてはいたが、確かにある。
私は小走りに門をくぐり、中に入った。
確かに、それは夢の中で見た場所だった。寺の裏手にまわると、井戸も
ある。
この場にダンクンは放り出され、天照大神は忘れ去られていたのだろう
か…。

時間を忘れるほど、私はここで祈った。


南山を降りる直前、私は池さんに、日本がしてきたことを詫びた。
すると、池さんはこれまでの優しい表情が一変して変わった。

「ふざけないでください。あなたに謝られても、私達が日本のことを許
せると思っているんですか?あなたに謝られても、嬉しくも何ともない
ですよ。日本政府が謝りに来たのならまだしも…あなたに謝られても意
味が無い。国家の責任で、本当は謝って欲しい。
想像できますか?自分の名前が取り上げられ、自分たちの言葉を話すこ
とも禁止されるんですよ。日本軍の軍備に必要だからと、ある日突然、
昨日まで使っていた箸もスプーンも韓国全ての家庭から全部取り上げら
れるんですよ。想像できないでしょ」
その後も、延々、戦時下で日本軍が韓国人にしてきたことを語り続けた。

私はただ聴くことしかできなかった。
そして呼吸することすら苦しくなり、嗚咽し泣きじゃくるだけで、精一
杯だった。

重い沈黙のあと、池さんはゆっくりと言った。

「でもね…日本政府が謝りに来ることはきっと無いでしょう。いや、政
府というのはどこの国も似たり寄ったりで、私達の国の政府だって、本
当に情けないものです。
韓国だって間違ったこといっぱいしているんですから。
だから、あなたは個人的に謝ることはもうやめなさい。無意味です。
それより、あなたにきっと出来ることがあるはずです。もう、こんな悲
惨な思いを、どんな人間もしなくて済むように、国民と国民、民族と民
族がいがみ合わなくてすむように、あなたなりに出来ることを精一杯し
てください」


この時、南山は夕日に照らされ、いつか見た時のように、オレンジ色に
輝いていた。


人には、宿業というものがあるのではないかと思う。
何事も、他者より少しでも優位な立場に立とうとする。そして権力を持
とうと思い始める。更に他者を支配する立場に立ちたくなる。他者の立
場や権利を妨害しながら、益々権力を持とうとする。これらの連鎖で病
んだ国家が出来上がり…更には他国を支配しようと企む。

人類がこの宿業を持ち続ける限り戦争は決して無くならないであろう。
核戦争で全てが無くなってしまうまで。


しかし、人間は決してみすてた存在だとは思わない。
宿業など、本当はみんないとも簡単に捨てられるのだから。

                         完