人間の宿業(中編)』

今、この地球上で生きている人は、皆どこかの国に住み、どこかの国に
所属している。
しかし、どこの国で生まれるかは、誰一人として自らの意思では選べな
いのだ。私が日本人として生まれたのも、勿論私の意志ではない。

古今東西、世の多くの権力者たちは、統治している場と権力拡大の為、
他者の生活を平気で踏みにじり、侵略し支配してきた。
犠牲となるのは、常にその「場」その「国」で普通に暮らす人々だ。
時に「国家」という圧力をかけられた時、人は人として自由に生きる権
利までをも失わされてしまうのかもしれない。
しかし、国と国、権力と権力の狭間の中ではあるが、人間として出来る
ことはないのだろうか。


2000年12月21日、私と親友のサッチャンは韓国の古都、慶州にある南山
(ナムサン)に向かった。
何故、南山なのか。それは前年の1999年6月に遡る。


サッチャンと私は、初めてサッチャンの祖国である韓国へ旅行をするこ
とにした。
当初の目的は、サッチャンの妹が当時住んでいたソウルへ行き、本場の
韓国式エステを楽しもう、というかなり軽いノリのものだった。

しかし、たまたま何かの用事で天河神社へ行った時、たまたま知り合い
に会い、何気なく韓国旅行をすることを話したら、たまたまそこに居合
わせた名前も知らない女性に「韓国へ行くのなら、マサンへ行きなさい
」と言われた。


「マサンへ行けって言われたよ」。
後日サッチャンと相談して、とりあえず韓国の地図を購入し「マサン」
探しをすることした。馬山市というのはスグに見つけた。が、何となく
そこではないような気がした。
そこで、たまたま「カタカムナまつり」という古神道のご神事に参加し
た時に知り合った韓国女性の李さんに連絡を取ってみた。
彼女も「多分、馬山市に行っても何もないだろう」ということだった。
そして、とりあえず釜山へ行けば、友人がどこか案内をしてくれるとい
う。

驚いたことに、私と李さんは一度しか面識がなかったにも関わらず、釜
山に住む友人の委さんにすぐ連絡を取ってくれた。
結局、私とサッチャンは、ソウルへ韓国式エステ旅行をしに行くはずが、
釜山旅行をすることになった。

初めての韓国。
最初に行った釜山の小さな公園で、民族衣装をまとったお爺さんが、お
もむろに嫌そうな顔をして、私に何かを言っている。
どうやら一目で日本人とわかったらしい。
私が反日感情を真正面から受けた最初の瞬間だった。

しかし、李さんの友人である委さんは、信じられないほど私たちを歓待
してくれてた。そしてご主人や従兄弟の方までを巻き込んで、一生懸命
釜山観光案内をしてくれたのだ。

明日は日本に帰るという日。
委さんの夫が運転して、釜山から少し離れた韓国の古都、慶州を案内し
てくれた。
慶州は、古い街並みがそのまま保存されており心が和む。私たちは世界
遺産にも登録されている仏国寺と石窟庵へ向かった。
微かに、霧がかかったその日、仏国寺は幻想的な姿で目の前に現れた。

美しい庭の中腹に仏教美術館があった。
そこで、日本語で書かれた『慶州』の本を見つけて、すぐに本を購入し
た。

日韓共催のワールドカップが終わった今は、日本語で書かれた本も韓国
国内に多数あるのだろうが、3年前、日本語で書かれた本を見つけるこ
とは容易ではなった。

夕刻が迫り、仏国寺から釜山に戻ろうと車を走らせていた時だった。
左手にある低い山が、黄金色に光っていた。
その光りかたが尋常ではなかったので、私は委さんに「あの山は何?」
と幾度も聞いたのだが「あれは普通の山で名前なんてない」という。
絶対にそんなことはない、と思った私は買ったばかりの本『慶州』を
開いてみた。

バックミラー越しに見える左手の山は、まだ黄金色に光ったままだ。
山…山…山…。
ページをめくる手が早くなる。
あった。あの山は、南山(ナムサン)だ。そして更にそのページをめ
くっていて、私は叫び声を上げた。
南山に「マサン」があったのだ。
サッチャンと私は興奮して、委さんご夫妻に、引き返してくれるよう
お願いしてみたが、釜山に戻る時間が遅くなるからダメだという。

私は後ろ髪を引かれる思いで、バックミラーの中で小さくなっていく
南山を見ていた。

2000年の終わり、再び韓国へサッチャンと行くことを決めた時、目的
地は「南山」と最初から決めていた