もしも・・・』

「もしも、あの時…」
こんな思いは、誰しもが一度や二度経験しているはずだ。
しかし、今の自分があるのは、その時々に選択をしてきたからこそなのだと思
う。
時として、自分の意思でない場合も含めて…。

今年は、大変な沖縄ブームだそうだ。
沖縄料理店もどこも予約が取れないほどの人気らしいし、音楽の世界でも、か
なり注目されているという。「モンゴル800」という沖縄出身のバンドのC
Dが、インディーズにもかかわらず100万枚突破して、現在アルバムヒット
チャートNo1だというニュースをテレビで見た。

そんなブームであるとなど全く知らなかったのだが、私も今年、強く沖縄に惹
かれている。

この5月15日、沖縄本土復帰30周年を迎えるということを知ったのはつい
最近のことだ。でも、その数字を聞いて、私の脳裏にある思いがよぎった。

30年前、私は小学生だった。
放送局で働く父は、いわゆる転勤族。その当時、単身赴任などという制度がな
かったので、家族は父親の転勤に伴い転校するのが当たり前だった。
父の転勤にあたる年、沖縄の本土復帰を機に沖縄放送局が設立されるというこ
とで、沖縄への転勤の話が出ていたらしい。
子どもの私は、当然そのような話は知らされていなかったのだが、父から沖縄
転勤の話を聞いた母は、猛反対したらしい。言葉が通じないかもしれないとか
、ハブが多くいるらしい、などといった理由を重ねていたが、結局、当時の母
は大変保守的だったのだ。

「もしも、30年前小学生の私が沖縄で過ごしていたなら…もっと違う沖縄と
出合っていたかも…」
幾度かこのような妄想にとりつかれたが、結局、私は30年巡って沖縄と出合
う運命にあったのだろう。

沖縄の代わりに転校したのが兵庫県の芦屋だった。
芦屋の学校に通っていたのも2年ほどだったが、この地によほど縁があったの
だろう。その後、大人になって15年以上、私は芦屋で暮らした。
そして、震災に遭い、意識が変わり…今、ここにいる。

「もしも…」をいくら思ったところで、全てなるようになっているのだ。

ならば、精一杯今日を生きよう。