祈りのマタンプシ』

私の手元に、一本の美しいマタンプシがある。

マタンプシとは、アイヌ文様刺繍の鉢巻のことで、アイヌの人々が神に自分の
場所を知らせる為、また同時に魔よけの為に頭に巻くものだ。シマフクロウの
目の文様や、蜂の針、波など文様ひとつひとつに重要な意味があり、それを複
合的に組み合わせている独特の伝統刺繍は、どれも全て1点もの。作者の息遣い
まで聞こえてきそうな細かな手作業のその作品は、一つ仕上げるのも相当な時
間を要する。

今までにも、縁があり幾本かのマタンプシを持っているのだが、今回出合った
マタンプシは、特別に大きな意味を持つものとなった。

レラさんを取材して3日目、移動中の車の中で、急にレラさんが叫んだ。

「あ〜!!マズイ!!Uターンしてもらえる?」
(この日は、1日中Uターンをしていたのだが、その話は改めて書こう。)

レラさんは、人と待ち合わせをしていたことを、すっかり忘れてしまっていた
らしい。大慌てで約束していた場所に戻ったのだが、1時間近く過ぎていたの
で姿がない。
「小学校の前って言っていたんだけどねぇ…」校門の前や辺りを探してみたの
だが、いる気配もないので諦めかけて、国道に戻った時、バス停の前に小柄な
女性が立っていた。
どうやら、待ち合わせの場所になかなか来ないので、しびれを切らせて国道沿
いに立っていたらしい。

レラさんは車から降りて駆け寄ると、袋を受け取りお金を渡している。

小さな袋を小脇に抱えて、安堵の表情を浮かべながらレラさんが車に戻って来
た時、何を買ったのか何気なく質問してみた。

すると、袋の中に入っていたマタンプシを取り出して見せてくれた。

「実はね、2週間前あの人から電話がかかってきて、子供を修学旅行に行かせ
てあげるお金の工面がどうしてもできない、というのよ。だから、今度行われ
る展示会用に、マタンプシを20本作るように言ってみたのね。そしたら今朝
、出来上がったって電話がかかってきたの。今日、修学旅行のお金を払う最終
日なんだって。可哀想に、目の下が窪んでいたでしょ。あのお母さんは、子供
を修学旅行に行かせてあげたい一心で、ほとんど寝ないでこれを作り上げたの
よ。見てごらん、凄く丁寧な縫い目、これは一目一目が母が子を想う祈りその
ものなのよ」

展示会で売れるかわからないというのに、レラさんは全て買い取っている。

「お金はね、循環して初めて意味を持つものだからね。今日、そのお金を循環
させないと意味がないじゃない。修学旅行のお金の締め切りは今日なんだから
さ」

私は、その話を聞いて、どうしてもそのマタンプシが欲しくなり、自分を呼ん
でいるように感じたマタンプシを選び購入した。

それは、本当に見事なまでに美しい。
私はレラさんの語りを撮影する日、ずっとそのマタンプシを巻きながら仕事を
した。

レラさんも私も、決して裕福に暮らしているわけではない。
しかし、お金の有効的な循環が行われて、私達は幸せな気持ちになった。

このマタンプシは、もしかすると、いつか私の手元を離れる日が来るかもしれ
ない。

その時は、きっとこの話を添えて、誰かに渡していることだろう。