■『この星に生まれて』 | |
先日「星野道夫の宇宙」と題された写真展に行って来た。
場所は、星野さんの生まれ故郷である市川市。
市民ボランティアが中心となっての実行委員会が主催した、とても暖か
で素晴らしい写真展だった。幾度か機会あるごとに、星野道夫写真展に
は出向いていたのだが、今回ほど人々の温かみを感じた写真展は初めて
だった。
星野道夫さんの写真や文章は、森羅万象の「いのち」を慈しみ、ヒトと
して生きる道標となるような、圧倒的な哲学があるように思う。
だから、これほどまでに多くの人を魅了してやまないのではないだろう
か。
11月、南東アラスカインディアンの友人、ナイナ・フローリーがやっ
て来た時、私は彼女から大切な預かりものをした。
それは、小さな「浮き球」。
彼女の家のすぐそばの海岸に、打ち上げられていたものだという。
彼女の話では、きっと浮き球を使う習慣がある日本から、黒潮に乗りア
リューシャンを越えて渡ってきたものだろう、ということだった。
ナイナは、この浮玉に「ミチオと同じスピリット」を感じたそうだ。
日本から、はるばる海を越えてアラスカへやってきたが、そろそろアラ
スカから日本に帰してあげたい、いや返さなければいけないような気が
すると。
3年前、彼女が同じく南東アラスカに住むボブ・サムや、ウィリー・ジ
ャクソン達と一緒に来日した際、星野さんのご家族に「いつかアラスカ
に渡ってきた浮き球を返す」と約束していたそうだ。
今回、来日の折りに、それを持ってきていたのだが、あいにくタイミン
グが合わず渡しに行くことができなかったので、ナイナから託されてい
たのだ。
直子さんと私が再会したのは、12月24日クリスマスイブの日。
無事に、小さな青く透き通ったメッセンジャーを私は渡すことができた。
そして、ありがたいことに写真展の中をゆっくりと案内してもらい、作
品ごとの説明をしてもらった。写真を撮った季節や状況など、共に暮ら
していたパートナーだからこそ、話せる真実がそこにあった。今までに
も幾度見たかしれない星野道夫さんの写真。その写真を撮った時の姿や
表情が、鮮やかに脳裏に浮かんでくる。
同時に、写真展に足を運んでいる人々の漏れ聞こえてくる感想に、胸が
いっぱいになった。星野さんとおなじように、「いのち」を慈しみ、自
然との共生を感性豊かに受け取る日人々から発せられる言葉の海…。私
は星野さんの写真と、そこにいた全ての人々の存在に深く感動していた。
星野さんのように、明確な意志のもと壮大な宇宙観を広げられる人は、
希かもしれない。
しかし、みなこの宇宙の法則の中で、平等に生かされていることには違
いない。
思えば気が遠くなるようだが、銀河系に地球という星が誕生しておよそ
46億年。無駄なものなどひとつもなく、様々なものがバランスを取り
合い共存している。唯一傲慢でバランス感覚が鈍い人間も、最近急速に
バランスを取り戻そうという動きが活発になってきた。星野道夫さんの
写真展に何十万人という人が詰めかけているのも、昨今のスローブーム
なども、顕著な現れだろう。
私は、この地球という星が大好きだ。この星に生まれてきてよかったと
思う。
実は何年も前から「私の故郷は○○星」という人たちに、やたらと会う。
真相など本人ではないのでわからないし、どんなきっかけがあって、そ
う思い始めたのかもわからない。が、幾度そんな類の話を聞いても、私
は全く興味がわかない。
笑い話のようだが、この星からの脱出計画?まで立てている人たちの話
も聞いたことがある。かなり多くの人たちが水面下で、地球に見切りを
つけているのだろうか。
でも、私はもし明日地球が無くなると知っても、この星で最期を迎えた
い。
なぜなら、私はこの星で生まれたことに心から喜びを感じ、感謝してい
るから。
ここのところ、本当に多くの人たちの意識が変わってきた。
私自身を振り返ってみても、意識が変わりはじめてまだ10年も経って
いない。
何事も一人では限界がある。力み過ぎてもが周りが疲れる。しかしそれ
ぞれの個性を生かし合い、協力しあっていけたなら、きっと未来は変わ
っていくことだろう。
青く美しいこの星で暮らす喜びを、未来の子ども達にも残してあげたい。
星野道夫さんの写真展から帰ってきて、強くそう思った。