随神(かんながら)』(後編)

ゆるやかな流れの中で、気がつくと今年も節分に合わせるように
天河神社へ行っていた。

天川村に着いたのは、午後3時過ぎ。

いつもと変わらぬ、穏やかな風景。家々の煙突からは、薪が燃える
懐かしい匂いが流れてくる。夜の御神事まで、まだ時間があったので、
神社近くの天の川温泉で雪見の露天風呂という贅を味わい、
民宿で早めの夕食を済ませた。

2月2日午後7時すぎ。

かがり火が焚かれた太鼓橋を渡り、神社へと向かう。この日は、
年に一度行われる御神事「鬼の宿」がある。これは、節分前夜、鬼を神として
迎え入れるための神事で、古来よりこの地で続いている大変神秘的な神事なのだ。

天河神社の社家は、大峰山などをはじめとする山岳信仰の開祖・役行者と
共に祭られている前鬼、後鬼の子孫といわれている。

社殿での儀式を終えたあと、社家の民家へ一列になり移動。
蝋燭のあかりに照らされて、鬼を迎え入れる為に真新しい純白の布団を
ひきその横に、鬼が手足を洗う為の真新しい水が入った桶、おにぎり、
梅干を用意され、祝詞や般若心経をあげて神仏習合の神事が厳かに執り行われる。

神官が静かに蝋燭を消して襖を閉めた後は、一転、他の部屋に明かりを灯し
おむすびや煮物、お神酒などが振舞われる直会(なおらい)になる。
山里深い、天川村の民家の囲炉裏でのなごやかな語らいは、いつもの
ことながら時間を忘れてしまいそうだ。

実は、この鬼の宿と節分は天河神社にとっては大変大切な御神事で、
布団の横に用意された桶に、翌朝砂が混じっていたら、鬼が泊まったということで
新たな年も、神事に遣えることを許され、新しい年を迎える節分祭も執り行われることになる。

その御神事を翌朝5時に行う、ということを宮司さんが話された。
今まで、幾度も鬼の宿に参加させてもらっているが、明け方の御神事の
時間を聞いたのは、初めてだった。

私たちは翌朝の御神事にも参加してみることにして、少し離れた民宿に向かった。

おかしな話なのだが、民宿の玄関の前まで行ったところで、
急にビールが飲みたくなった。私は、普段ほとんどアルコール類は飲まない。
というより、弱いのでほとんど飲めないといった方が正しいかもしれない。

しかし、どうしたことか、この時急に飲みたくなったのだ。
自動販売機は随分、引き返さなければならない。

私とキョウちゃんは天の川の橋のたもとまで戻った。
しかし、ここの自動販売機はジュースしか売っていなかった。さすがに
更に離れた場所にあるビールの自動販売機まで行って買う気持ちは失せてしまった。

再び、宿に戻ろうとした時だった。

大きな鞄を持った若い青年が一人道をトボトボ歩いている姿が目に入った。
どう見ても、村の人ではない。
遠目にも、困ったという雰囲気が漂っている。

私は思い切って声をかけてみた。

「道に迷っているんですか?」

「突然、この神事に参加してみようと思って、東京からやって来たんですけれど、
もう神事が終わってしまっていたようで、民宿もみんな
玄関が閉まっているようだったし、どうしようかと思って…」

「それなら、一緒に来たらいいわ。私が泊まっている宿、
部屋が空いているみたいだし、宿のおばちゃんに言ってあげるから」ということで、
この道に迷った青年を宿に連れて帰ったのだ。

実はチェックインした時、おばちゃんに「あれ?天川さん2人かいな。
おかしいな3〜4人で来るって言ってなかった?広い部屋用意してしもたわ」
と言われキョウちゃんと二人では、どう使っていいかわからないほど、
3間も続く広いスペースを与えられていた。

宿でおばちゃんに事情を伝えると「ほらね。2人やないやろ。
3人になったやろ。おばちゃんの神通力やで」と笑った。

この青年はなんと「テン」と昔から呼ばれていたそうで、苗字の
ハタテから「ハタテン」となり、それが省略されて「テン」と呼ばれるようになったとか。
なんとテン繋がりだったのだ。

そのハタテン君、早速お礼にとビールを買いに走ってくれた。
翌早朝、4時半に起きて3人で再びご神事がある民家に向かう。
まだ、外は真っ暗で村全体が寝静まっているようだ。
鬼の宿となっている民家の戸はしっかりと閉じられており、
私たち以外に誰も来る気配もない。

もしかすると、早朝のこの御神事は、神官以外は参加できないものでは
なかったのか急に不安になってきた。

しかし、微かに中から声が聞こえたので、思い切って戸を開いた。
土間のたたきに、一般の人の物と思える靴が何足かある。
私たちは安心して、中に入った。

ややしばらくして、厳粛な御神事が始まる。
一晩置かれた桶の水を柄杓ですくい、幾重ものさらしに漉していく。
固唾を飲み込み見守る中で、静かに静かに執り行われ、やがて終わった。

宮司さんが「どうぞ、ご覧ください」と言って、私たちにさらしを見せてくださる。
そこには、小さな粒ではあるが、確かに幾つかの砂が確かにあった。
「これで、今年も御神事を執り行わせていただけます」と宮司さんは謙虚に話された。

直会に、茶粥をいただく。
なんとも、豊かな時間だった。

この日は、節分祭。
天河では、鬼は強さと厳しさの象徴としてとらえ、全ての意識を超えて
物事を正しく見る神として崇めているので「鬼は内」「福は内」
といいながら豆がまかれる。
その後、修験道の人々による採燈護摩が炊かれた後は、餅まきや地元の
人々によるお汁粉振舞い、恵方に向かってのかぶり寿司などが直会として振舞われた。

午後まで続く、このお祭りに参加した後、私たちは一路東京に戻ることにした。
有難いことに「ハタテン」君はレンタカーで橿原からやって来ていたので、
駅まで送ってもらうことができた。

神戸から淡路島、そして天河。

人と天に繋いで連れて行ってもらった時と場。きっと、
これからも様々なことが続くのだろう。

随神に、ただただここにあることに感謝して…。

                              完