神々からの宿題』

屋久島に行ったのは、これで何度目だろう。

自分でもわからなくなるくらい、幾度も通っている。
「天と大地に感謝する旅」というツアーを企画するきっかけとなったの
も、この島に触れ、大自然を体感する素晴らしさを一人でも多くの人に
伝えたいと思ったからだ。

以前、屋久島旅行から帰ってきた知り合いが「退屈でつまらない島だっ
た。みんなが騒ぐほどのものじゃない」というのを聞いたことがある。

何を求めて屋久島に行くかは、人それぞれだろうが場違い的な高級リゾ
ートホテルに泊まり、適度な森林浴とショッピングを楽しもうとやって
来た人には、すぐに退屈してしまう面白くない島かもしれない。
しかし、屋久島はそんな過ごし方が似合う島ではないと思う。
圧倒的な大自然と真正面から向き合うことができる島なのだから。。

屋久島を訪れる人の多くは、縄文杉に惹かれてやってくる。

私も一番最初、屋久島に行った時、どうしても縄文杉と合いたいと思っ
た。私は破天荒で無茶苦茶なものだから、ガイドも無しで迷いながら昔
の人々が行ったルートを通り縄文杉まで登った。
後で、毎年何人か遭難していることを知り、地元の人にひどく怒られた。
今考えても、とても恐ろしいことをしたものだと思うのだが、その時は、
どうしても、そうやって行きたかったのだ。
通常の縄文杉登山の人々が登る時間帯ともずれていたことが幸いしたの
か片道8時間かかってようやく出合えた縄文杉は、霧に煙る神々しい姿で
私を迎えてくれた。
その時の感動たるや、言葉ではうまく言い表せない。

ところが、その後ツアーで幾度、縄文杉に登っても、正直なところあま
り感動を覚えなくなってしまった。
理由は、明白。
縄文杉登山の為に使われている通常のルートは、延々と続くトロッコ道
をただひたすら歩く。トロッコの枕木は、人間の歩幅にあっていないの
でとても歩きにくく、森を楽しめない。その上、ハイシーズンは縄文杉
登山に行く人で道もお手洗いも長蛇の列。トロッコ道を終え、険しい山
道を必死で登り、やっとの思いで出合った縄文杉の周りは、人、人、人。
写真を撮ろうにも、順番待ちなのだ。

しかし、私はそんな縄文杉との出合い方は、正直辛いだけだった。

今回のツアーでは、一人の方を除いた全員が縄文杉登山を希望していた
ので、私も同行しなければならない状況だった。

屋久島に入って2日目、毎回ガイドをお願いしている藤村さんに「ものの
け姫」の舞台となった苔森を案内してもらった時のことだ。
太鼓岩という大きな岩の上まで登ると、視界が晴れて前回はあまり見えな
かった向かいの山々がよく見えた。

藤村さんは、山の神様の話を教えてくれた。
「あそこに見えるのは、太忠岳という40メートルはある大きな岩で、
その隣の山は石塚山といいます。あの山は屋久島のいわゆる聖地といわ
れていて『一品宝珠大権現(いっぽんほうじゅだいごんげん)』という
神様が祀られています。一品というのは、対という意味で、二つでひと
つとして完成することで、バランスをとって物事を成す神様です。江戸
時代に入り、宝珠は仏寿と書かれるようにもなりましたが、本来は宝の
珠なんですね。近年、イザナギ・イザナミも祀られているようですが、
もとは一品宝珠大権現なのです。」

私は、以前から太忠岳のそばに行ってみたいと思っていたのだが、この
話を聞いて、その思いが一気に強くなった。
「あの山まで、どのくらいかかりますか?」
「縄文杉に行くより、うんと近いよ」
私の心は固まった。
苔森の帰り道、私は藤村さんに相談してみた。

「誰か、明日空いているガイドさんいらっしゃらないですか?私縄文杉
ではなくて、どうしても太忠岳と石塚に登ってみたいんですけれど」

「空いてはいるガイドはいるけれど、太忠岳から石塚山まで案内できる
のは、多分私以外にいないよ。何せ道が無いから。それじゃ、明日の縄
文杉登山は、他のガイドに任せて、天川さんと私は太忠岳と石塚山に行
きましょう。他にも縄文杉ではなく、そっちがいい人がいれば、一緒に
行けばいいし」

宿に戻り、その話をしたら、大変な事態になってしまった。
苔森のガイドですっかり全員が藤村ファンになってしまっていたのだ。
侃侃諤諤、大討論会が始まった。
およそ1時間半話し合いの末、来年、縄文杉の前で一泊するツアーを組
むことになり、明日は全員で太忠岳から石塚山に行くルートを行こうと
ことになった。

翌日、私たちは他の誰一人とも会わず、深い苔森を抜けて、およそ3時
間半で太忠岳に登った。40メートルもあるという見上げるばかりの、
巨石が突き刺さるように聳えている。私たちは、「一品宝珠大権現」の
祠に拍手を打ちお参りをした。
その時だった。太忠岳の真上に昇っていた太陽に日輪がかかった。
あまりに神々しい風景に、全員が言葉もなかった。

そして、いよいよ石塚山を目指した。
「こっちをまがっていきます」
藤村さんが、そう言いながら道なき道を入ると、一瞬にして陰気な空気
が漂っている。
私は癌の手術後、臭いに異様に敏感になったのだが、山がかび臭くて仕
方がない。
ぬかるんでいる道や、木の根が異常なほど滑り、まるで、進入を拒んで
いるかのようだった。ヘトヘトになるまで歩いた先に、一対の巨石が姿
を現した。
数十メートルはあろう、巨大な一対の石組。その上にそれを繋ぐかのよ
うな巨石が乗っかっている。
しかし、そんな巨石には、不似合いなコンクリーとブロックの階段が積
まれ、その入り口らしきところには、鉄パイプの鳥居があった。
瞬間、とても違和感を覚え、気持ち悪かった。
中に入ると、人一人がやっと通れる一本道が奥まで続いていた。
その正面には、イザナミ・イザナギの文字が墓石のような石に、金色で
書かれていた。
異様な感じだった。
どう考えても、昔からの祀り方ではないように思ったが、一応、お参り
はした。しかし太忠岳の時のような清清しさは皆無だった。
そこから、やや離れた鏡岩まで登ったのだが、藤村さんがいう「一品宝
珠大権現」の祠がない。
結局、再度一対の巨石組の中に入ってみると、光が当たらない、ジメジ
メとした場所に見るも無残に壊れた「一品宝珠大権現」の祠があった。
それも、文字が欠けていて、まともに読めない状態だ。
私はこの神様が痛々しく感じて、藤村さんにお願いして、ジットリと濡
れた祠を持ち上げ、一旦、太陽の光に当たってもらい、鏡岩と対面して
もらった。
その時、巨石組の細い一本道から見えた鏡岩は、まるでご神体のごとく
神々しい姿に見えた。
もしかすると、ご神体の反対側に、皆でお参りしたのではないだろうか。
そう思いながら、再び現在置かれている場所にそっと戻した。

その時、聖地が陰な空気に包まれているのがわかったような気がした。


藤村さんは、自分で彫り上げ祠を奉納するといっているが、実際のとこ
ろ、これからこの山はどのように展開していくかわからない。
第一、これは地元に住む人々の問題で、私や誰かが口をはさむ問題では
ないと思う。
しかし、これは屋久島に限った問題ではない。

きっと、日本全国、神様から宿題を出されている場所は多々あるのだろ
う。