自分の根っこと繋がる』

いつからだろう。
自分のルーツが気になりだしたのは…。

昭和50年初頭、米国作家、アレックス・ヘイリーの小説「ルーツ」が
一大センセーショナルを巻き起こし、八夜連続のドラマとして放映され
た。黒人であるヘイリーは、昔話や伝え聞いたわずかな単語からアフリ
カに渡り、自分のルーツを探しあて、六代前からの父祖を小説の中で描
いた作品だ。

当時、中学生だった私は強烈なショックを受けた。
「私のご先祖達はどこでどんなことをしていた人達だったのだろう…」
多分、当時「ルーツ」の影響で私と同様の思いになった人は、沢山いた
に違いない。

アメリカで、アフリカ系アメリカ人を対象に、そのルーツを探るという
ビジネスが始まっているというニュースを聞いた。DNA鑑定により出身
国を判別するというものだそう。

かなり前のことだが、私はあるドイツ人男性に「ルーツは、ナニ人です
か?」と聞かれた。
相手は何気ない質問だったのかもしれない。だが、ルーツを問われた私
は想外に考え込んでしまった。
それまで私は日本人として生まれ育ち、何の疑問もなく生きてきた。
が、その根拠はどこにあるのだろう。
考えれば考えるほど、訳がわからなくなってしまった。

人類の足跡を辿れば、約500万年前にまで遡る。
二足歩行をした猿人が進化して原人となり、更に進化して私達の祖先と
なるモンゴロイドとなったのが約6万年前。
様々な説があるようで、一概にはいいきれないが、北方を辿り続けたモ
ンゴロイドがシベリアから樺太(サハリン)を経由して日本に入り、狩
猟生活をはじめたのがアイヌの祖先(縄文人)といわれており、日本土
着の人々だといわれている。
それから後、同じモンゴロイドでも中国から韓国を経由して来た渡来し
てきた渡来人(弥生人)が日本に入り、限りなく混血が繰り替えされて、
現日本人になったらしい。

「あなたは、自分がナニ人なのかも知らないのですか?」
しばらく考え込んでいたので、ドイツ人男性は不思議に思ったのだろう。
「私は日本人です」そう言いながら、自分は確かに日本人なのだと、そ
の時なぜか強く確信した。

青森で三内丸山遺跡が発掘された年、「縄文博」というものが開催され
た。遥か1万年以上も昔、私達の祖先は世界に類をみない、高度な芸術
性と文明、そして豊かな精神性を持っていたことを、その博覧会を通し
て知った時は、心底嬉しかった。
以後、「縄文」が自分の中での大切なキーワードの一つになった。

旅をしていても縄文遺跡に巡り合えたら、妙に興奮してしまったり、人
と話をしていてもつい乗ってくると縄文の頃まで話を遡らせてしまう悪
いクセもついてしまった。

先日、事務所に知り合いが訪ねて来た。
彼は、もともとアウトドア系の仕事をしてきた人で、今は日本各地のネ
イチャーガイドを繋ぐ仕事をしている。様々な話から、自然と人間との
関わりや繋がりの話で盛り上がっているうちに、またまた縄文の頃まで
話が遡っていた。いつもは、そこで大盛り上がりになるのだが…彼は意
外なことを語り始めた。

「僕は、遥か彼方の大昔に意識が向かうことより、自分のルーツの一番
身近にあるところを、もっと大切にしたいと思っているんです。僕の生
家は東京の下町にあって、日々の暮らしの中にとても大切なことがある
んです。お盆の時は、玄関で迎え火や送り火をしたり、お月見の時には
団子を作ったり毎日神棚に拍手を打ったり…そんな風習が今も残ってい
るんですよ。日々の生活の中にこそ、実は日本人が守ってきた自然との
繋がりがあったんじゃないかって思うんです。
遥か大昔もいいけれど、みんなもしかすると自分のまわりにも、一番身
近な親や祖父母というルーツから、まだまだ学ぶものがあるんじゃない
かな。ほんの数十年前まで、当たり前に続けられていた習慣や風習がど
んどん無くなってきている今だからこそ、そこに意識を向けていたいと
思うんです」

この言葉は、衝撃的だった。

そうなのだ。自分の根っこの一番身近なところで繋がっているのは、自
分の親なのだ。
今からでも遅くはない。私も母から教わった我が家の風習や伝統を子供
達にちゃんと伝えよう。
きっと、それが彼女たちにとって、そして顔を見ることは出来ない子孫
たちに、日本の風習や伝統として引き継がれていくのだ。

そう思うと、なんだか背中がシャンと伸びるような気がした。