放浪料理人』

ハカセと出会ったのは、5年前。
屋久島でのことだ。

空港からバスに乗った時、妙に変った服装の青年が乗り合わせたことは
気がついていた。
グレーのマントに編み上げブーツ、そして山高帽。
何となく、銀河鉄道999に登場する鉄郎のような風貌。
職業も、年齢も素性も何もかもわからないような、とても不思議な青年
だった。

彼の名はコウタ。
でも、私と子供達は、彼のことをハカセと呼ぶ。
何故なら彼は、まるで食の博士のようなのだ。

ハカセは出会った日、息子が捕まえていた虫を見て、
「この虫は、食べることが出来るよ。いいかい、こんな山の中ではね、
食べられる草、食べられる虫を見分けることが出来るかどうかが、生死
を分けることもあるんだよ」と言う。
以後、子供達は虫を捕まえてはハカセの前に持っていき「これは食べら
れる?」と連発して聞いていた。

彼は現在28歳。世界中を放浪しながら、民族料理を覚えている最中だ。

5年前、屋久島で会った時は、アジアをまわって帰国したばかりだった。
マントの中には、カトマンズなどで購入したという何十種種類者もの香
辛料と、韓国のステンレス箸とスプーンが入っており、スパイシーな料
理をいくつも作ってくれた。

3年前オーストラリアから戻って来た時には、神戸の家まで遊びに来て、
オーストラリアのお土産と共に、アボリジニの人々の食生活の話なども
話してくれた。

そんなハカセが2年ぶりで日本に帰って来た。
今度は、海外青年協力隊として、グァテマラに行っていたのだ。
彼の専門は食品加工。
現地の人々に、ビン詰めやカン詰めなどの技術を教えてきたそうだが、
彼の目的はだた一つ。先住民族マヤの人々の食生活に触れることだっ
た。

先日、事務所へ遊びに来た時のこと。
マヤの人々の食生活を聞いて、あまりにアメリカ先住民のホピ族の食生
活と似ていると思った私は、ホピ族のあるビデオをハカセに見せた。

ハカセはホピ族のことは知らなかった。

「アメリカには、まだあまり興味が沸かなくて…」と最初は言っていたが、
ビデオを観た途端、一変に考えが変ったようだ。

ビデオは、ホピの人々がトウモロコシと向き合って生きている姿や、粉に
挽いて薄く焼いて食べる食生活を、淡々と描いたものだ。
大抵の人は、退屈するような代物なのだが、ハカセは違った。
目を輝かせ、食い入るようにそのビデオを観た後「今度はホピ族を訪ね
なきゃ…」と言い出した。

今度は、お返しに…と、ハカセも自分のデジカメで撮ってきた、マヤ族
のトウモロコシの粉を挽く動画を見せてくれた。
確かに、トウモロコシを挽く石臼の形も食べ方も、ホピとマヤはほぼ一
緒だった。

以前、ホピの村へ行った時に、マヤ族の研究家の女性と出会った。
彼女は、マヤ族のことを調べていたら、ホピの村にたどり着いたと話し
てくれたが、今回、このビデオとデジカメの動画を見比べて、改めてそ
のことを思い出した。

「食を知ることは、民族を知ることなんです。僕はまだまだ、放浪し続
けて料理を通して先住民族に出会っていこうと思っているんです」

彼は来月から、1年間かけて南米を巡って来るらしい。
帰って来た時、ハカセはどんな話を聞かせてくれるのだろうか…。


いつか、彼と一緒に仕事をする日が来る様な気がしている。