腑に落ちないこと』

腑。
腑とは、すなわちハラワタのこと。
腑に落ちないとは、ハラワタが煮えくり返るほどのことではないが、せ
っかく美味しいものを食べたのに消化不良を起こしたような、そんな状
態を指すのだろうか。
ま、一言でいえば「納得いかないんですけれど!」ということだ。

近年、地域通貨というものが注目を集めている。
地域や仲間などで、独自の通貨を作り、物やサービスの折にそれを交換
して無理のない循環システムをつくろうというものだ。
それは、大変素晴らしいと思う。
しかし、現実的には、今現在の社会生活をしていく中で、お金が必要で
あることは否めない。どこかに行こうにも、電車代や飛行機代には当た
り前にお金がかかり、友達と連絡しあう電話やインターネットにしても、
食べ物ひとつ買うにしても、今は全てお金が必要なのだ。

常々思っていることなのだが、お金とはエネルギーそのものなのではな
いだろうか。お金自体が尊いのでも偉いのでもなく、また汚いものでも
卑しいものでもない。
だから、エネルギーが足りないと本来の力も出せないし、気力も失せて
くる。逆に過多に無意味に一箇所に集まり過ぎると淀みを生み、人の心
までをも淀ませることもあるようだ。

要は、そのエネルギーを上手に循環させればよいのだと思う。
勿論、よりよい未来に繋がるように。

小さいながらも自分で事務所経営をしていると、様々な人と関わりを持
って仕事をしている。
仕事をするということは、そこでお金の循環がある、ということだ。

仕事に対する考え方は、百人百様。
時には割り切って考え、嫌な仕事をやらなければならない場合もあるだ
ろうが、私は極力、嫌だと思っていることはやらないようにしている。
嫌だと思いながらする仕事に、いい成果は望めないからだ。
そして何より、気持ちよく仕事を共に出来る人としか、仕事はしないよ
うになってきた。

「そんなワガママ言っていたら、この不景気乗り切れないよ」と言われ
てしまいそうだが、私は逆ではないかと思うのだ。
こんな不景気な時だからこそ、少しでもいいかたちでのお金の循環、エ
ネルギーの循環があればいいと思っている。

実は、今春、引越しを考えている。

勿論、以前にもメルマガで紹介したこともある、心ある不動産屋さんの
友人に探してもらってはいるのだが、今のところ適当な物件が見つから
ない。
様々な諸事情もあり、そろそろ探す期限もリミットとなって、他の不動
産屋さんでも最近探し始めることにした。

先日、ある不動産屋さんの入り口に、希望通りの物件内容が書かれた張
り紙を見つけて入った。
紹介してほしいと頼むと、直接現地へ行き大家さんと掛け合って欲しい
という。その物件は、かなりの古家で日当たりも今ひとつなのだが、広
さは十分にあり、古家ならではの収納もかなりある。場所も静かな住宅
地。大家さんはいい人。と、きたら迷わず決めたいところなのだが…。

まぁ、その不動産屋さんの横柄で身勝手な態度に、納得いかないのであ
る。
その物件を決めようと思って、幾度か不動産屋さんに足を運んでいるの
だが一度も物件に立ち会うこともなく、諸条件は大家さんと私で決めて
欲しいという。結局、大家さんと相談して出した結論を伝えると、なぜ
か文句を言われ…。
更に契約日のことを電話で相談した時には「今、お客さんが来ているん
だから」ガチャン!と電話を切られる始末。

「あの…私もお客なんですけれど…」と切れた電話に向かっていうしか
なかったのだが、どうにもあの不動産屋さんに小額ではない仲介手数料
を支払うことが、腑に落ちないのだ。
仲介業とは、家主と借主の中に入って仲介することに対するお礼が報酬
として支払われるものだと思う。
何ら仲介の労(エネルギー)も費やさない不動産屋さんに、エネルギー
の代償を支払うことが、腑に落ちない。
更にいうなら、この不動産屋さんが元で何らかの契約上のトラブルも起
き兼ねない、とまで考えてしまう。

世の中には、こんなことは山ほどある。
美味しいが無愛想なレストランとか、いい施設なのに清潔さに欠けてい
る旅館とか、好きな洋服を扱っているのに、やる気のない従業員のブテ
ィックとか。
取り扱っている「人」がもう少し心配りをしてくれたらいいのに。
そう思った途端、私はそこに「お金」というエネルギーを渡すのが嫌に
なってくる。

そんなこんなで、結局、家の方は今だに結論を出せていない。
いい家なんだけどなぁ。