不動産屋の女』

引越しをする時、そこには様々な事情が存在しているのだろう。

だが、引越しを境にして、新たな生活が始まることに違いはない。

私は子どもの頃から父の転勤に伴って、何度も引越しを経験し、大人に
なってからは自らの意思で幾度も引越しをしてきた。その度に、必ず不
動産屋さんにお世話になってきたが、今まで業者と利用者という関係意
外に発展することはなかった。
正直な話、不動産屋さんを選ぶポイントは、探すエリアの物件の豊富さ
しか考えていなかった。
しかし、それだけではないということを、彼女と出会ったことで知った
ように思う。

99年秋、私は一大決心をして兵庫県の芦屋から東京に引っ越すことを
決めた。
そして、今までは、関西の山の手での生活だったので、今度は、江戸情
緒溢れる東京の下町エリアに住もうと思った。

最初、駅前の不動産屋さんをいくつかまわったが、コレという物件にも
めぐり合えず、果てには、開けた瞬間から陰気〜な空気が流れているよ
うな部屋に案内されしてしまう始末。断ると「あんたみたいに、ワガマ
マ言っていたら住むところなんか決まんないんだよ。これから先だって、
あんたの条件じゃロクな物件見つかりっこないんだから、ここに決めた
らどうなの?」なんて信じられないような暴言をはかれてしまい、意気
消沈してしまった。

そんな時、別の不動産屋さんの看板が目に入ってくる。
既に重くなっていた足を引きずりながら、その不動産屋さんの前に行く
と、ガラス越しに中の女性と目が合った。それがエイコちゃんとの最初
の出会いだった。

彼女は直観力に優れているのか、あっという間に私が望んでいたような
部屋を探し出してくれた。そして契約が決まると、家具を揃えるのなら
○○が安くていいとか、電化製品は○○がいいとか、美味しいお店は○
○があるとか様々なことを教えてくれた。私はこの街に住むノウハウを
彼女からどれだけ教わったか知れない。

引越し当日。
そんなエイコちゃんが「これからの新しい人生の始まりに…」と、突然
お花を持って来てくれた。私は感激で言葉がなかった。そして、この日
を境に私達は友人となり、互いの良き相談相手となった。

2000年、明治神宮での「神話を語り継ぐ人々」東京実行委員長に私
がなった時、自宅兼事務所では対応しきれない状況になった。臨時で2
ヶ月だけ事務局の場所を探していることを彼女に相談してみると、何の
利益も出ないことなのに一生懸命、幾日も幾日も一緒に場の提供者を探
してくれた。が、結局、都合のいいような臨時の場所は見つからなかっ
た。だが突然、エイコちゃんから興奮気味に「突然、凄い場所が情報と
して入ったから、今すぐ申し込んだほうがいい!直感的、だけどとても
縁起のいい場所だと思うよ」と連絡が来た。それが今の『オフィスTE
N』の場所だ。

そんなエイコちゃんから、この春、突然、事務所独立のハガキが届いた。

すぐさま駆けつけると「独立しなきゃいけない事情になってね」と笑い
ながら言う。

理由は、2つ。
彼女が、現在、乳幼児を抱えた母親であることに対しての会社の不理解
。そして、不動産業としてのありかたについて、会社と決定的な考え方
の相違があったからだそうだ。

実はこの辺りは、都内のど真ん中とは思えないほど、今も古き良き日本
の面影を残した町並みなのだ。時代の波による多少の開発は仕方ないに
しても、多くの住人が間違いなくこの下町風景を愛しみ、守ろうとして
いるこの地域といっても過言ではない。
ところが、そんなこの地域のある一画で、町並みには全く似つかわしく
ない大型マンションの建設計画が持ち上がり、町ぐるみで反対運動が起
こっていた。

しかし、そんな運動もむなしく、巨大マンション建設は進んでいたいた
そんなある日、彼女の勤めていた不動産会社に「短期間だけ、大量に駐
車場を貸して欲しい」とある人物がやって来たそうだ。

事情を聞くと、その問題となっている巨大マンションの、モデルルーム
を見学に来る人用の駐車場を用意したいのだという。

地域の人々が猛烈に反対運動を起こしていることを知りながら、見えな
いところで裏切るようなことは出来ないと思った彼女は「うちでは、お
宅に貸せる駐車場は扱っておりません」とキッパリ断ったらしい。
が、後になってこのことを知った経営者に「会社の利益を妨害した」と
ひどく怒られたそうだ。

目先の利益にはならなくとも、地域の人々から信頼されることが、結果
的に会社の利益として繋がっていくと確信していたのに…と彼女は残念
がった。それが証拠に、駐車場の持ち主の人に後から「よくぞ、断って
くれた」と感謝されたそうだ。

しかし、この時、会社に勤めてお給料を貰っている限りは、会社の利益
を考えることが最優先であり、会社の利益に対する考え方を忠実に守ら
なければいけないのだと痛感したのだという。他の不動産業者に移る事
も考えたらしいが、結局、不動産業の考え方が、自分の信念と違ってい
たらまた堂堂巡りになると思い、それなら、と多くのリスクを背負いな
がら、奮起して不動産屋を起こしたのだ。

「この地域が好きで住みたい人と思っている人、そしてそんな人に貸し
たいと思っている人や売りたいと思っている人を繋げるのが、私の仕事。
この地域に住む人が素敵な笑顔で暮らせるようにサポート出来たら、私
の幸せだから…」と笑いながら語る姿は、生き生きと輝いていて、美し
かった。

一時、バブルの頃、悪質な不動産業者などによる地上げなどが横行し、
私の中で、どうも不動産業は金儲け第一主義のようなイメージがあった。
しかし、彼女と出会ったことで、私の固定概念は消えた。

そう…。彼女は、街と住まいと人をサポートする達人なのだ。