大地の匂い』

私は、大地の匂いが好きだ。
草原の匂い、乾いた土の匂い、雨にぬれた石の匂いも、どれも懐かしい記憶が蘇る。

私の童話詩の中に、同タイトルの作品がある。
ネイティブアメリカンの青年が、生まれ故郷を離れて大都会で暮らして
いくうちに、大切なことを一つひとつ忘れていってしまうのだが、ふと
何処からともなく故郷の大地の匂いがして、自分が何者であったのか思
い出していく、そんな内容だ。

匂いとは、もともと記憶回路を瞬時にして呼び起こす作用を持っている
ように思う。玉子焼きの匂いがすると、運動会の朝を思い出したり、街を歩いていて、
昔のボーイフレンドが付けていたオーデコロンの香りがすると、
ふと振り返って見てしまったりする。
普段、何気なく接している匂いは、実は記憶と共に仕舞い込まれている
ものが多々あるのかもしれない。

先日、キラウェア火山の溶岩の上で寝た。
かすかに石埃の匂いがした。
私はきっと、すぐにこの匂いのことは忘れてしまうことだろう。
しかし、数十年経ってもどこからか石埃の匂いがしたら、私は間違いな
くあの生まれたての地球、キラウェア火山の溶岩を思い出すことだろう。

地球には、いろんな形や色があるように、いろんな匂いがある。
屋久島の苔森の匂い、香港の裏通りの匂い、ノートルダム大寺院の蝋燭
の匂い…写真やビデオで記録することもいい。しかし折角、五感で感じ
取れる肉体を持っているのだから、私はできるだけ体に記憶させておき
たいと思っている。 

明日の朝、生まれ故郷の北海道に行く。
父の七回忌だ。

危篤の知らせを聞いて飛行機に飛び乗り、祈る気持ちで千歳空港を降り
立った時、外は猛烈に吹雪いていた。札幌に向かう列車に、途中の駅か
ら乗ってくる誰もが、冷たい外気と雪の匂いを染み込ませていた。病院
についた時には遅かった。
その日、息を引き取った父親と共に、雪が舞うホワイトイルミネーションを
横目で見ながら、静かに自宅に戻った。雪が夜中までシンシンと降っていた。

雪の匂いは、その時私の中で父の記憶と共に永遠となった。