『ありがたいです』

昨日、病院へ検査結果を聞きにいった。

一昨年暮れ、私は癌にかかった。今、思い返すとこの病いに戸惑ったの
は、私よりも家族や友人たちだったかもしれない。後からではあるが私
の病を知ってから眠れない日が続いたと、後から聞いた。
しかし、幸いなことに初期での発見ということもあり、術後はみるみる
うちに回復。現在は半年に一度検診に行くだけとなり、2週間ほど前、
久しぶりに検査を受けた。

「はい、今は何も異常は認められません。健康体ですよ。それでは、ま
た半年後に来てください」。

外に出ると、春の風が私を誘った。

病院へ向かう時には、何も考えてはいなかったのだが、車の往来が激し
い表通りを歩いていった。が、帰りは心が軽くなったのだろう。
わき道にそれて、神社を抜けて帰ることにした。

神社の門をくぐり抜けた途端、木漏れ日がまるでスポットライトのよう
に土を白く照らしていた。
その中に入ってみると、ポカポカと暖かくて心地いいこと。
見上げてみると、青い空に燦然と輝く太陽がそこにある。
「なんて、ありがたいのだろう」。
私は感謝の気持ちを込めて、神殿に向かいお参りをした。
ふと横を見ると満開の梅が見事に咲き誇り、ほんのり甘い香りで辺りを
包んでいた。

「ありがたい」
漢字で書くと「有」ることが「難」しいと書く。
全ては当たり前なのではなく、有ることが難しい。そう思うと全てに感
謝したくなる。

当たり前に思いがちだが、今、生きているということは、親や先祖が様
々なドラマの中で出会いを繰り返し、脈々と命を受け継いできたから、
今の自分があるのだ。ありがたいことだ。

人生の中で、どれくらいの人々と出会えるかはわからない。
しかし、「今」という時代を共に生き、広い宇宙の地球という星の中で
出会い、時間を共有できるということを考えると、奇跡のようにも思う。
ありがたいことだ。

もしかして、今の環境に生まれていなかったら、食べるものに不自由し
ていたかもしれないし、暖かなお布団で眠ることも出来なかったかもし
れない。戦争の恐怖に怯えていたかもしれないし、病気の治療も受けら
れなかったかもしれない。
今こうして日々普通に暮らせることが、なんとありがたいことだろう。


「ありがたい、ありがたい」と、まるでお婆ちゃんのように拝み癖がつ
いてしまった今日この頃である。